六号通りができる前

六号通りより前の、幡ヶ谷

平安時代の地名由来伝承から、史料に「幡ヶ谷」が現れ、近代の代々幡村へつながるまで。伝承と史料を混ぜずに、4つの節目だけをたどります。

「幡ヶ谷」の名につながる、旗洗池の伝承

渋谷区の現在の案内では、後三年の役の後に源義家がこの地の池で白旗を洗ったという伝承を、幡ヶ谷の地名の由来として紹介しています。史実として断定するのではなく、地域に残る由来伝承として扱います。

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史料の中に「幡ヶ谷」の地名が現れる

渋谷区立図書館の区史年表は、永禄2年(1559)の『小田原衆所領役帳』に、原宿・幡ヶ谷・千駄ヶ谷・下渋谷の地名が見えると記録しています。地名を史料でたどるうえで重要なアンカーです。

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「幡ヶ谷村」の検地が記録される

渋谷区立図書館の区史年表には、延宝元年(1673)に野村彦太夫が幡ヶ谷村の検地を行った記録があります。近世には「幡ヶ谷村」という行政的な土地の単位が確認できます。

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代々木村と幡ヶ谷村から「代々幡村」へ

市制町村制の時代、代々木と幡ヶ谷を含む地域は「代々幡村」として再編されました。ここから、のちの代々幡町、そして渋谷区へつながる近代行政の流れが始まります。

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※ 現在の町丁目境界を、そのまま平安・戦国・江戸時代へ当てはめてはいません。時代ごとに土地の呼び方や行政単位は変化しています。

TIME WALK

昔の幡ヶ谷を、時間方向に歩く

1559年の史料、江戸時代の内藤新宿とのつながり、代々幡村、六号橋へ。写真のない時代も、確認できる関係だけを一枚の景色としてたどれます。

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3分でたどる六号通りの歴史

明治31年 (1898)
玉川上水新水路に通水・「六号橋」架橋

新宿・淀橋浄水場へ水を送るため新水路が開削され、幡ヶ谷の地に6番目の橋梁「六号橋」が架けられる。

大正〜昭和初期
「六号通り」等の呼称が地域に定着

六号橋へ接続する南北の生活道路について、「六号通り(六号橋通り)」という呼称の定着が地域記録等で確認できる。

昭和12年 (1937)
新水路廃止・水路跡の道路利用(水道道路)

1937年に新水路は廃止された。その後、水路跡は水道道路として利用されるようになった。新水路廃止後も「六号通り」等の名称が現在まで確認できる。橋そのものの撤去時期については、確認できる史料が限られています。

戦後〜現代
現行商工組織の名称接続(現代)

現行の区商工台帳において「幡ヶ谷六号通り商店街振興組合」の存在・名称接続が確認できる。商店街組織の成立時期については引き続き調査中です。

街の記憶を読む

通りの名前、水道道路、商店街へ続く街の記憶を、確認できる史料をもとに紹介します。

1898〜現在

「六号通り」という名前はどこから来たのか?

明治の玉川上水新水路と「六号橋」の架橋史

幡ヶ谷駅北口から伸びる「六号通り」。この印象的な数字の通り名は、明治時代に開削された玉川上水新水路に架かっていた「六号橋」に由来します。

明治25年(1892年)に着工し、明治31年(1898年)に通水した「玉川上水新水路」は、杉並区和泉から新宿の淀橋浄水場まで直線の築堤として引かれた導水路でした。この新水路は当時の代々幡村(後の代々幡町大字幡ヶ谷)を東西に貫通していました。

新水路の築堤によって南北の往来が分断されたため、水路上には16本の橋が架橋されました。橋には下流(淀橋浄水場側)から上流(和泉側)に向けて順に番号が付与され、そのうち6番目の橋として幡ヶ谷に架けられたのが「六号橋(六號橋)」です。

この六号橋へ接続する南北の通りが、やがて地域で「六号通り(六号橋通り)」と呼ばれるようになり、現在の商店街へと続く街路の骨格となりました。

1937〜現在

水路から道路へ:水道道路と残された「数字の地名」

昭和12年の新水路廃止と地域インフラへの名称継承

昭和12年(1937年)に玉川上水新水路はその役目を終え、水路跡は現在の「水道道路(都道431号)」へと姿を変えました。水路廃止後も「六号通り」の名は街の日常として受け継がれています。

昭和12年(1937年)、甲州街道の地下に新しい導水管が整備されたことに伴い、玉川上水新水路は廃止されました。水路跡地は埋立・整地され、「水道道路(現在の都道431号角筈和泉町線)」として生まれ変わりました。

区の郷土調査記録(『渋谷の橋』)によれば、水路の道路化に伴い六号橋の橋梁構造物は撤去されたと記述されています。ただし、具体的撤去工事の年月日および独立した第二史料による裏付けは未確認です。

一方、新水路廃止後から現在に至るまで、道路名「六号通り」、および「六号通り公園」「六号通りバス停」といった公共施設・交通機関の名称として「六号通り」の呼称が広く使われ続けています。同様に「七号通り」「十号通り」なども橋梁番号に由来する地名として現存しています。

戦後〜現代〜現在

「幡ヶ谷六号通り商店街」への名称接続

通り名と、現在の商店街組織名のつながり

六号通り沿いに位置する商店街組織は、現在「幡ヶ谷六号通り商店街振興組合」として公的に登録されており、通り名「六号通り」との空間的・名称的接続が確認できます。

現行の渋谷区商工台帳において、六号通り沿いに「幡ヶ谷六号通り商店街振興組合」という組織が存在し、通り名との名称接続が確認できます。

現在確認できるのは、商店街組織の名称と所在地です。いつ組織が生まれ、どのように変化してきたかという歴史については、別の調査として確認を続けています。

出典と調査について

歴史記述は、渋谷区の都市計画文書、区立図書館の資料、区教育委員会編纂『渋谷の橋』など、確認できる資料をもとに作成しています。詳しい出典と確認方法は別ページで公開しています。

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