「六号通り」という名前はどこから来たのか?
明治の玉川上水新水路と「六号橋」の架橋史
明治25年(1892年)に着工し、明治31年(1898年)に通水した「玉川上水新水路」は、杉並区和泉から新宿の淀橋浄水場まで直線の築堤として引かれた導水路でした。この新水路は当時の代々幡村(後の代々幡町大字幡ヶ谷)を東西に貫通していました。
新水路の築堤によって南北の往来が分断されたため、水路上には16本の橋が架橋されました。橋には下流(淀橋浄水場側)から上流(和泉側)に向けて順に番号が付与され、そのうち6番目の橋として幡ヶ谷に架けられたのが「六号橋(六號橋)」です。
この六号橋へ接続する南北の通りが、やがて地域で「六号通り(六号橋通り)」と呼ばれるようになり、現在の商店街へと続く街路の骨格となりました。
📊 史実の確認状況(公的資料・地域史に基づく検証)
※推測を交えず、区史や公的文書等で裏付けが取れた事実のみを整理しています。